チョンブリ県、今昔
タイはASEANの優等生と呼ばれております。
私がタイに引っ越してきた25年以上も前に遡ってみても、時々クーデターや金融危機もありましたが、基本的に生活を脅かされることは無く、それどころか急速に発展してきたように思います。
特に、ここチョンブリ県の変貌はスゴイです。
チョンブリ県というと、日本人の方はシラチャ(郡)、外国人の方はパタヤ(特別市)を思い浮かべることと思います。
私が子供の頃、タイの日本人町といえば、山田長政が活躍したアユタヤですが、今は間違いなくシラチャでしょう。
私が初めてシラチャを訪れた時は、まだ信号機が一つもありませんでした。
もちろんロビンソンデパートや日本人を対象としたホテル・サビースアパートもありませんでした。
その当時、出張などでシラチャを訪れた方々は海岸沿いの“シラチャ・ロッジ”、もしくはパタヤのホテルに宿泊されておられるようでした。
日本レストランは、海岸通りに“マ~チャン(隣の”松ちゃん“ではない)”という店が1件、カラオケはその“マ~チャン”のすぐ横の“江の島”と“フジクラブ”の2軒があっただけでした。
買物は、今はトゥッコム(TUKCOM)になってしまいましたが、ここは以前レムトンというデパート(ロビンソンデパートの出店により業態を変えざるを得なかった??)で、ここで済ませるかパタヤかバンコクに行く以外は方法が無かったように思います。なお、このレムトンデパートの上には、映画館やビリヤードもあったと思います。
その後、Laemthong Condominium、The City Hotel Srirachaが登場し、カラオケ、日本レストランが続々と増え、今日のシラチャの原型が出来てきたようです。
特に、イースタンシーボード工業団地が出来てからの変貌は凄まじかったと思います。日本人の出張者をターゲットにしたサービスアパートの建設ラッシュ、そして日本人学校も開校し今日の繁栄を迎えています。
このシラチャの発展に伴い、第二高速道路、モーターウエーといった東海岸に向かう高速道路、一般道路が急ピッチで整備され観光地パタヤがバンコクから2時間程度で行けるようになりました(従来は2.5~3時間でしょうか)。
パタヤは、ベトナム戦争の時に米軍の保養地としてスタートしました。その名残で20年以上も前は、数多くのビアバーが軒を連ね『Hello MR.!!!』と連呼されました。
今もこの『Hello MR.!!!』という呼び込みを聞くことは出来ますし、数多くのビアバーがありますが、近年のパタヤもシラチャ同様に変化しつつあるように感じます。
もちろん、パタヤライフの大本命であるマリンスポーツ、夜のお楽しみは健在ですが、大型のショッピングセンターが出来、家族連れでも安心して過ごせる、そんな優しいパタヤの一面も感じられるようになりました。
また、ゴルフがお好きな方には、HONDA LPGAが開催されるサイアムカントリークラブを筆頭に、近隣には素晴らしいゴルフコースがたくさんあります。
オールパタヤでは、パタヤ近郊の観光地へのツアー手配・送迎、ゴルフ場の手配・送迎、ホテルの予約、空港への送迎など、パタヤで過ごされるためのあらゆることを扱っております。
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